Lien Blog

2020.02.20

Lien papa の独り言 50

 気温の激しい変化に身体がついていかない今日この頃です。

 

Lien papaのひとり言

 

今週も、紅茶の歴史を少しのぞいてみたいと思います。

 

ティーバッグ!

 

 

 

イギリスで花開いた紅茶の文化は、独立して間もないアメリカで大きく変化します。

1900年前後に誕生したティーバッグとアイスティーが、紅茶に対する概念を大きく変えました。

 

紅茶は、茶葉を急須や茶瓶に入れて熱湯を注ぎ、蒸らしてから淹れるというのが、14世紀以降の伝統的な飲み方でした。

もてなしのための紅茶は手間ひまにも深い意味がみいだされ、その過程はセレモニーにまで発展するほどでした。

しかし、アメリカで流行することとなるティーバッグやアイスティーは、こうした考え方とは、正反対の趣旨から生まれました。

 

 

ティーバッグについての最初の記録が現れるのは、1896年「スミス、ロンドンでティーバッグの特許を取得」です。

 

 

スミスは、茶葉を計ることと茶殻の処理を簡単にするために1杯分の茶葉をガーゼに包み糸で閉じたものをサンプルとして作りましたが、伝統を重んじるイギリスの喫茶文化には定着しませんでした。

 

ティーバッグを最初に考案したのは、イギリス人だったようですが、これを日常で飲むための方法を定着させたのは、効率と利便性を求めるアメリカ人でした。

 

やはり、効率や利便性が進化を生むのですかね?

 

今週も紅茶、珈琲好きのオヤジのひとり言にお付き合いいただきありがとうございました。

 

 

 

2020.02.14

Lien papa の ひとり言 49

 今頃から店先の芝桜が咲いていました。

 

Lien papaのひとり言

 

今週も、紅茶の歴史を少しのぞいてみたいと思います。

 

先週アッサム種の発見についてみてきました。

その後アッサム種の栽培は大規模になり、イギリスの植民地となっていたセイロン(スリランカ)にて伝染病により

コーヒー園が壊滅した後、1890年にはアッサム種の茶園が開かれ、セイロン茶事業を展開しました。

これらの新しい茶の大産地の出現により、イギリスを統治国として種まきから市場まで(生産から消費まで)全てを

イギリスが掌握していきました。

 

それでもイギリスが完全に中国茶を切り捨てなかったのは、中国のお茶が当時、三角貿易の一部として大切だったからです。

そしてまた、インドの植民地を維持するのに三角貿易は不可欠である、と東インド会社が考えていたからである。

 

                 

このアヘンの売り上げは、東インド会社の収入全体のうち12%を占めていました。

後、アヘンに関してイギリスと中国の間で対立が生じ、アヘン戦争へと突入します。

この戦争が両国に大きな影響を与えたのは言うまでもありません。

 


アヘン戦争が終わるころには、イギリス・オランダ両国の東インド会社は、インドがイギリスの直轄地となった事でその長い歴史に

幕を下ろしました。

20世紀の初めになって、イギリスはようやくアヘンの輸出をやめました。

しかし、その理由は決して人道的なものから来たのが全てではありませんでした。

インド・セイロンにおける茶事業が軌道に乗り、イギリス本国だけでなく、他の国々の茶需要にも十分応じる事ができるようになったからである。

そこで、イギリスと中国茶は完全に関係を絶つ事となりました。

利益だけでなく、道徳的にも間違えてほしくないですね!

今週も紅茶、珈琲好きのオヤジのひとり言にお付き合いいただきありがとうございました。

2020.02.06

Lien papa の ひとり言 48

急に 冷え込みが厳しくなりましたね。

Lien papaのひとり言

 

今週も、紅茶の歴史を少しのぞいてみたいと思います。

 

アッサム種の発見!

 

イギリスは世界に先駆けて、産業革命を成功させると中産階級を中心に食生活にも大きな変化を生じ、紅茶はすっかり人々の生活の中に定着していきました。

1823年、紅茶の歴史はあらたな幕開けを迎えます。

イギリスの冒険家ロバート・ブルースが、インドのアッサム地方で自生の茶樹を発見。

 

これが、現在のアッサム種で、中国種とは別の種類だということが分かり、1839年、アッサムティーが誕生しました。

 

そして、1845年、イギリス人フォーチュンによって、緑茶と紅茶は製法が違うだけで、原料が同じ茶樹であることが発見されます。

アッサム種は茶葉が大きいため、それまでの中国種よりも大量生産が可能になったことや、中国種とアッサム種の交配が進み、

当時のイギリスの植民地であったインドやスリランカで紅茶の栽培が始められるようになり19世紀末迄には中国紅茶をすっかり凌駕するようになりました。

それから、イギリスの紅茶文化はますます広がっていきました。

 

新たな発見が、時代を変えていくのですね!

今週も紅茶、珈琲好きのオヤジのひとり言にお付き合いいただきありがとうございました。

 

2020.01.30

Lien papa の ひとり言 47

  

気温の変化は激しい、コロナウイルスは拡がる今日この頃です、

 

体調管理に気を付けましょう。

 

Lien papaのひとり言

 

今週も、紅茶の歴史を少しのぞいてみたいと思います。

 

アメリカには、17世紀後半にコーヒー、ココア、紅茶が伝わりましたが、イギリスの紅茶の飲用習慣をそのまま引き継いで、当時は紅茶の方が普及していました。

ところが、イギリスが、コーヒー貿易の競争でオランダやフランスに敗北し、紅茶貿易に切り換えたことにより情勢が変わりました。

 

当時アメリカを植民地としていたイギリスは、「茶条令」の発布によって輸入紅茶を独占した上で巨大なお茶の消費マーケットとなっていたアメリカに対し、価格をつりあげ、重い税金を掛けたのです。

 

これに反発したアメリカ人はイギリス商品の不買運動を起こします。

その結果、茶税は残し印紙税法は撤廃されましたが、課税反対運動はさらに広がっていきます。

そしてついに1773年、ボストン茶会事件が発生。

 

ボストン港に停泊していたイギリスの東インド会社の船を襲撃し、積まれていた342個の茶箱すべて海中に投げ捨ててしまいました。


これがきっかけとなり、各港で同じような事件が連続し、アメリカはイギリスからの独立の気運を募らせたとともに、紅茶よりもコーヒーを好むようになっていったのです。

 

 

利益を独り占めしようとするとろくな事がありませんね。

 

今週も紅茶、珈琲好きのオヤジのひとり言にお付き合いいただきありがとうございました。

2020.01.23

Lien papa の ひとり言 46

 何だか梅雨の様なお天気が続いていますね!

 

Lien papaのひとり言

 

今回も、紅茶の歴史を少しのぞいてみたいと思います。

 

1662年、ポルトガルの王女キャサリンがイギリス王室に嫁ぎ、このときに大量のお茶と砂糖を持参し、当時貴重だった砂糖を

たっぷりと入れて、珍重品だったお茶を毎日飲み、これが貴族の間で、たちまち大流行しましたといった所まで先週やりまし

たね。

 

その後、お茶の輸入を独占的に行っていたオランダの東インド会社に不満を抱いていたイギリスは、1669年、オランダから茶

を輸入することを禁じる法律を制定。

そして2国は戦争を始めます(第三次英蘭戦争(1672年~1674年)。

 


この戦争に勝利したイギリスはオランダからお茶を輸入する権利を奪うと、中国・福建省の廈門(あもい)を拠点に、お茶の

輸入を開始しました。


このことが、イギリスで紅茶文化が発達する大きなきっかけになりました。

なぜなら、廈門に集められたお茶は、現在の紅茶に似た半発酵茶の武夷(ぶい)茶だったからです。


このお茶は、茶葉の色が黒かったことからブラックティーとも呼ばれていました。


こうして、発酵させない緑茶から半発酵のお茶へと人気が移り、紅茶文化が花開いていきました。

 

新しものには争いがついてまわるのですかね?

 

今週も紅茶、珈琲好きのオヤジのひとり言にお付き合いいただきありがとうございました